”理解者”に捧げた「翼」~ジュリアから見た「アイル」~

 ストーリーの中でジュリアは未完成だった、彼女が初めて作った曲をライブ前夜に瑞希とともに仕上げ、メインボーカルを翼に託す。最終的に「アイル」と名付けられるその曲がどうして未完成だったのかということについて僕はものすごく考えさせられた。

 

人生で初めて作ったその曲を完成しないから、ダメだったからという理由でボツにせずに、ずっと憶えているという事実はジュリアのその曲に対する愛着(または執着)の現れである。にも関わらず、ジュリアは1人でその曲を完成させることはなかった。

 

劇中でしつこいくらいに彼女の音楽に対する真摯さは強調されている。その彼女の姿勢を持ってしても完成させられなかったのには何か理由があるのだろうなと考えずにはいられなかったのである。

 

そしてこれは個人の推測であるが、この曲がずっと未完成だったのは

 

「ジュリアがその曲を最初に書いた時の気持ちを忘れてしまっていたから」

 

ではないかと思っている。

 

 

「アイル」が披露されるライブ前夜、ジュリアは翼との会話の中で2年前の自分の姿を翼の中に見出す。そこからこの曲の運命が動いてゆく。そして瑞希も加えてこの曲は完成してゆく。その流れを見ているとジュリアは曲を書くときに「客観」の力を必要とするのかなと思う。そして、その「未完成の曲」はあまりに主観的すぎた。

 

翼という過去の自分を投影する対象を得た時にこの曲は「アイル」になった。

 

”あなた”と出会って書いた「流星群」。

 

”大人”になって自分の中の”子供”を客観視することで出来た「プラリネ」。

 

100%自分のエゴを押し通さない(押し通せない)ジュリアの真面目さが楽曲制作のプロセスにも現れているのではないだろうか。

 

きっと、ジュリアはもともと”純粋さのきらめき”のようなものを「アイル」とは違った形で歌いたかったんじゃないかなと思う。きっとそれは「プラリネ」ほど成熟していなくて「流星群」における”あなた”もいない世界の歌。でも、それはあまりに彼女にとっては主観的で原始的過ぎて、言葉としては出てこなかった。そしてそのまま時間ばかりが過ぎて、ジュリアはアイドルになり、葛藤する日々の中でその曲を書いた時の気持ちを忘れていってしまったのではないだろうか。

 

 

そのずっと握りしめていた「未完成の曲」が「アイル」になった時、ジュリアはそのメインボーカルを翼に託す。恐らく、「アイル」の完成型が見えた時にジュリアはその曲がもはや今の自分が歌うべき曲ではないことを悟ったのだろう。それはもう自分が通り過ぎてしまった(もしかしたら進むことをやめてしまった)道であって、そこには翼がいる。

 

ジュリアにとって翼は自分の過去を肯定してくれた、最初の”理解者”だったのではないかと思う。「世界一のロックシンガーになる」という”くだらない”夢を言葉ではなく、そのしぐさの一つ一つによって肯定してくれた人。その”理解者”である翼に曲のメインボーカルを譲るという行為はただの”give”以上の意味合いがジュリアの中にあるのではないだろうか。

 

僕はこのジュリアの行為を”sacrifice”であると認識している。これ以外に適切な言葉が思い浮かばなかった。「アイル」という曲を翼に捧げるということは他方でジュリア自身の過去を(あえて言うなら)諦めたことを意味しているような気がしてならない。

 

「あたしは”大人”になるよ」

 

これまで愛着のあった未完成の曲を自分の手から離して翼に捧げることによって、過去の自分に別れを告げ、ジュリアは今の自分を受け入れる。

もはやその曲を書き始めたころの自分はそこにおらず、自分以上にその曲を歌うべき”甘ったれの子供”がいる。眠るときに見るような夢を追い続けている翼に対して、夢を見るなら目を開いて見ようというジュリアの決断を促すきっかけになるようなやり取りがこの劇中には描かれているのではないだろうか。

 

そして、大人になる最初の一歩が劇中最後のセリフ

 

「今度さ、あたしにダンス教えてくれよな。」

 

によって示されているような気がしてならない。

 

※あくまでもこの文章は「こうして見たら楽しくない?」という性質のものであり、具体的なイベント及び楽曲のできた時系列等についての議論を促進する意図をもったものでは無いということをご理解いただきたく思います。