The Space Needle-シアトルのアイコンの今と昔

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Amazonがオンラインショッピングの世界を変える前、Kurt Cobainグランジロック時代の旗手となる前、そしてStarbucksが最初の一杯のコーヒーを注ぐ前でさえ、Space Needleはシアトルのシンボルだった。この街のスカイラインが半世紀の間に起こった多くの出来事によって塗り替えられた今でも、その役割は変わらない。

 

“Spacelift”と名付けられた2年間、1億ドルをかけた改装が終わった今、Space Needleを訪れる人々は、まるで未来に来てしまったかのような気分になるだろう。

 

A Seattle icon from the beginning

1962年のSeattle World's Fairのために建設された後、Space Needleはまたたく間に街を象徴する建物として知られるようになった。

 

「見た目こそ異端でしたが、そこに使われている技術は決して新しいものではありませんでした。 原始的と言ってもいいでしょう。」と、建設時の構造エンジニアであったGary Noble Curtisは話す。 「工学に関して、私たちが新しい分野を切り開いていたとは言えませんでした。何より、プロジェクトがスタートしてからフェアが開かれるまで13ヵ月しかなかったのです。」

 

厳しい日程の中、Space NeedleSeattle World's Fair開幕の数日前に完成した。それは間違いなく、この大変な作業を恐れなかった青年たちの情熱のたまものだ。モノレール、Pacific Science CenterKey Arenaなど、World's Fairの際に作られた建造物の多くはまだ残っている。

 

Space Raceアメリカの人々を魅了していた頃、Seattle Cente全体のデザインは、スチール、コンクリート、そしてガラスで作られたSF映画のような未来的なものだった。 それでも、Space Needleはシアトルのスカイラインを象徴する街の中心だった。

 

The more things change …

20年に渡り、Space Needleはシアトルを見守り続けた。Space Raceが終わった後も、内装の工事が行われただけで変わらずそこに立ち続けた。1982年には、宴会施設が低層に追加された。この改装には賛否両論あった。2000年には大規模な工事により、エントランスとレストランが改装。 その後も、Space Needleは革新的なアップグレードを要求した。

 

55年前、私たちがタワーを作ったとき、モダンとはこういうものなのだと感じました。」Noble Curtisは言った。 「しかし、時間の流れの中で徐々に飽きられ初めていました。」

 

Space Needleの歴史家であるKnute Bergerは、2012年に開催されたタワーの50周年記念式典で、シアトルで最も象徴的な建物に起こる劇的な変化について話し始めました。

 

「人々は考え始めました。次の50年間はどうなるのだろうか?と。」 彼は言った。「タワーが建てられてから100年後、何が人々を興奮させているのでしょう。 次の50年間に備えて私たちは何ができるでしょうか。Space Needleはまだその役割を担ことができるでしょう。一方で、アップデートにあたっては、人々が1962年に経験した感覚を取り入れる必要があると考えていました。」

 

A Space Needle for the future

スペースニードルが歴史的なランドマークであるという事実が過去から未来へとSpace Needleを打ち上げることになった要因だ。時代遅れだったデザインは176トンのガラスに置き換えられ、シアトルとその周辺地域の景色を眺めることができるようになった。

 

「この眺望は、人々がタワーに上る理由の1つです。」とBergerは述べた。 「この眺めこそがシアトルなのです。人々はこの見事な美しさに感動する。この改装によってその体験はより素晴らしいものになるでしょう。」

 

変化は劇的だ。 もしかすると、恐怖を感じるかもしれない。新しく備わった回転機構部分が見えるよう、一部の床はガラス張りとなった。のぞき込むと、500フィート下に地面が見える。

 

エンジニアであるWade Morrisが新しいデザインの中で最も革新的であると考えているのは、この回転するガラス床だ「駆動メカニズムを見えるようにするのあまりないことです。」と彼は言う。 「他のどの回転構造も、露出させたり強調したりしようとはしていません。」

 

Reclaiming the original vision

ゆっくり回転するガラス板と足元の絶え間なく変化する眺めには、誰しも魅了されるだろう。しかし、変わったのは見た目だけではない。 1962年にオープンしたときのように、Space Needleにはこれまで以上に大きな意義がある。

 

Space Needle創設の意図は、シアトルをハイテク都市として再ブランド化しようとする試みの一部でした。」とBurgerは話す。「改装前には、ここまで新しいことをするとは想像していませんでした。しかし、このガラス技術は現代におけるさらなる技術的な向上心を刺激するのです。」

 

Noble Curtisは同意する。「私もSpace Needleに携わる人々が未来に対する希望という視点に立ち、考えることを願っています。物事は突然変化し、より良くなる可能性を秘めているのです。」と彼は言った。

 

Lonely Planetより