二次元アイドル各コンテンツごとに”アイドル”の定義に差はあるか?

 アイドルマスター(以下:アイマス)というコンテンツに興味を持ったきっかけは如月千早だった。彼女は「アイドルに興味ありません。」と言った。それから数年後、強く興味を持ったのは所恵美だった。彼女は「アイドルの事はよくわからない。」と言った。アイマスをプレイする中で僕が強く惹かれたのはナチュラルにアイドルを体現する人ではなく、その概念に対して考える中で時間をかけて折り合いをつけてゆく過程を共有する事のできるアイドルである。

 

たまたま働いた会社の考えと合わずに、そこでもがき苦しむ等ということは誰の人生にでも起こりうる事だと考える。ある意味でそういった状況に共感しながらそのゲームをプレイするということさえ十分に起こりうるという事はご理解いただきたいと思う。

 

長らくこのような二次元アイドルコンテンツはアイドルマスターシリーズにしか縁がなかった。しかしながらここ半年ほどTokyo7thシスターズ(以下;ナナシス)に関心を持ち、プレイしている。興味を持ったきっかけこそ”Fire and Rose”という決してアイドルらしいとは呼ぶ事のできないロックチューンではあるのだが、ゲームを進めるにつれとても惹かれたのは芹沢モモカと夜舞サヲリだった。彼女達は「アイドルらしく振る舞う」ということについてのためらいは無いように見える。

 

ナナシスにおいて、アイマスをプレイしていた時とはずいぶん違うタイプのアイドルに興味を持つ事となったため、何がこの違いを生み出したのか自分の中で大きな疑問があった。

 

このふたつのコンテンツを比較した際の大きな違いは劇中世界における”アイドル”に対するオーディエンスの認識ではないかと思う。ナナシスを進めるに当たって非常に重要な点はこの世界が「アイドルが受け入れられていない世界」の物語であるという点である。この世界で人々が求めているものはアーティストであり、アーティストのファンは時にアイドルを強く罵る事すらある。

 

アイマス世界においての”アイドル”についてはよく「我々が住む世界の80年代アイドルブームが終わらずに続いた世界」という記述も見かけるほどにそれが受け入れられている世界である。それ故に多くのアイドル候補生が存在し、アイドル同士でしのぎを削る世界の話である。

 

この二つのコンテンツにおいての”アイドル”を取り巻く環境自体が大きく異なり、それ故に”アイドル”に求められている要素が大きく異なっていたとしてもそれは自然な事ではないかと思う。

 

二次元アイドルコンテンツは今や多く存在している。しかしながら”アイドル”というそれらのコンテンツで共通の単語の指し示す物は必ずしも同じとは限らないのではないかと今回の経験から考えるようになった。それは製作陣にとっても意識的な部分とそうでない部分があるかもしれない。しかしながら、

 

「この世界における”アイドル”とはなにか?」

 

という根本的な問いに対する答えは長く続くストーリーを維持するにあたって、各コンテンツ持ち合わせているだろうと考える。

 

その後の具体的な考察についてここには記載しないが、もし複数のアイドルコンテンツをプレイしながら今回私が経験したような支持するアイドルの特徴の違い等について誰かが気になったときの一つの糸口にでもなれば幸いだ。