ブリガデイロの歴史
ブリガデイロは表面をブラジルの伝統的なお菓子である。コンデンスミルク、バター、ココアパウダーと、表面を覆うチョコレートスプリンクルでできている。
1945年、第二次世界大戦直後のブラジルは大統領選挙の真っ只中だった。候補者のEduardo Gomes准将(准将は当地の言葉でbrigadeiro)は「ハンサムで独身の准将に投票しよう!」 というスローガンで特に女性からの支持を集めた。
彼の忠実な支持者たちは資金集めのためのパーティを開き、さらなる支持拡大を目指した。彼女たちは一般的な選挙応援商品を販売するのとは対象的にキャンディーを作り、ミーティングで売ることを計画した。しかしながら、終戦直後の国内には牛乳と砂糖が著しく不足していた。そのため、代わりにコンデンスミルクを使い、バター、チョコレートと混ぜることにした。
これが「准将(Brigadeiro)のキャンディー」として認知され、選挙期間中に有権者からの票を集める目的で販売された。そのキャンディーは人気を得たものの、最終的にEduardo Gomesは大統領に選出されなかった。
50年台になると名前がブリガデイロに省略され、国中に広がり、今でも人気を集めている。
Neutron Elements
音楽関連のセールも一段落した。ほとんど買い物はしなかったが、ほぼ無料でもらったiZotope Neutron Elementsは非常に便利だった。EQについているLearn機能が手っ取り早くポイントを教えてくれるのでそれをもとに方針を決めることができる。EQポイントをNeutronで教えてもらって最終的には他のEQプラグインに置き換えている。
一方で、EQ以外の機能はあまり使いたいと思えるものではなかった。
おそらく、一番のウリはTrack Assistantだと思うのだが残念ながら自分の制作にはあまり活かせそうになかった。これはアルゴリズムがなにの音かを判別してそれに適したセッティングを提案してくれるというもの。自分が最も多く取り扱うのはシンセサイザーの音で、それらは概ねアルゴリズムによって「その他」に分類される。そこで提案されるのは当てにならないチェインばかりだった。この機能は現状でも生楽器を中心にMIXする人には便利なのかもしれない。
もし、この機能が便利であればアップグレードも検討したかもしれないが、そうではなかったのでElementsのままEQのLearn機能のために使い続けようと思う。
アップグレードによって使うことのできるマスキングメーターは便利そうではあったが、現状使用方法では手間がかかるように見えた。この機能がDAWと統合されるような時代が来ればまた一段と便利になるのではないかと感じた。例えば現在、Cubaseを使用しているが、各チャンネルのEQにこの機能が搭載されれば余分なプラグインを使用することなくMixの状態を知ることができる。非常に小さな1ステップなのだが、それが積み重なるとなるとどうしても重く感じられてしまう。
ほぼ、無料でもらっておきながら文句ばかり言っているが、EQ Learn機能だけでも十分元の値段の価値はあると思う。実際にこれのおかげでかなり作業のスピードは向上している。作曲におけるAIの活用はまだまだ始まったばかりだと思う。時間がたつに連れてより良い製品が出てくることを祈っている。
22/7楽曲の男声コーラスは今後どうなるんだろう?
私は広く言われる「2次元アイドルコンテンツ」を長らく愛してきた。最初に出会ったのが「アイドルマスター」でその後にGREE時代の「アイドルマスターミリオンライブ」そして「Tokyo 7th シスターズ」をプレイしてきた。それらが好きだった理由は音楽にある。特にアイドルマスターシリーズのゲーム音楽作家が手がけるポップミュージックは私にとって新鮮で刺激的に聞こえた。
一方で現実のアイドル(例えば乃木坂46のような)にはあまり詳しくなかった。CD屋に行けば新曲を聞いていたし、いい曲だと思うものもたくさんあった。でも、「CDを買って握手会に行こう!!」という感じでもなかった。あくまでも2次元アイドルが興味の中心だった。
しかし、22/7(ナナブンノニジュウニ)のファンになって以降、その境界は曖昧になってきた。22/7とは秋元康総合プロデュースによる「デジタル声優アイドルグループ」だ。少なくともメンバーが自分たちについて話す時はそう名乗っている。アイドル・声優として活動するメンバーが11人、それぞれ演じるキャラクターが11キャラ存在し、実際のライブではメンバーがパフォーマンスをする。MVなどでは3Dポリゴンのキャラクターが歌い、踊る。そして、MVのポリゴンモデルのダンスは声優自身がをモーションキャプチャーを使いキャラを動かす。
2次元アイドルで3Dモデルが踊る最も有名な作品は「ラブライブ!」シリーズだと思う。「ラブライブ!」で例えると、内田彩さんが南ことりちゃんの声だけでなく、アニメーションの中のダンスも踊るという感じ。
こういうふうに説明をすると22/7も2次元アイドルの箱に入れてしまってもいいような気がする。しかし、そうはいかないのが「秋元康総合プロデュース」であるということ。付け加えるなら、Sonyグループと秋元康によるプロジェクトであるということだ。この組み合わせは乃木坂46や欅坂46と同じだ。
いちファンとして、私は22/7が「坂道シリーズ」の流れを受け継いでいると感じている。そして、それが色濃く反映されているのが楽曲の作り方だと考えている。
「理解者」は私が22/7のファンになろうと決心した楽曲だ。しかし、2次元アイドルが興味の中心にあった私にとって、この曲には違和感を感じるポイントがあった。それが、特にサビで聞くことができる男声コーラスだ。アニメ系の女性ヴォーカル曲でここまで男声であるということが聞き取れるようなコーラスをトラックに使う機会は極めて少ないと思う。男声コーラスを楽曲に取り入れる大きなメリットは楽曲全体に厚みを出すことができる点だ。女性ヴォーカルではカバーできない帯域を男声で埋めるイメージ。アニメ系女性ヴォーカル曲でも聞き取ることが難しいレベルで男声が使われていることもあるので「全く使われていない」とまでは言わないが、聞き取れるレベルで活用することは意図的に避けているような印象を個人的には持っている。
一方で「坂道シリーズ」に目を向けるとこの男声コーラスはいたるところで使われている。珍しいものでも何でも無い。
サビの部分での楽器構成が「理解者」と比較的近いため、この曲を選んだ。イヤフォンで聞いたときにサビの部分で左右に広く男声コーラスが使われているのが聞き取れると思う。これがSonyグループと秋元康が考えた今のアイドル曲のベストなバランスなんだと思う。22/7はその「坂道シリーズ」で培ってきたアイドル曲の音像を引き継いでいる。Sonyグループが包括的にマネージメントを行っている声優のプロジェクトは別にTrysailなども存在するが、こちらはアニソン寄りの作りだ。それを考慮すると22/7の音はSonyの音である以上にSonyと秋元康の音といえると思う。そして、それが端的にあらわれているのが男声コーラスであるというのが個人的な考え方だ。
個人的には現状で22/7のファンは「坂道シリーズ」を始めとするアイドルファンの割合が高いと感じている。それは、声優・アイドルとして活動している11人のメンバーが全員かわいらしく、魅力的であるということや、プロデュースに対するファンの信頼もあってのことだと思う。しかし、22/7が「坂道シリーズ」と違う点はすでにアニメ化が決定しており、今後よりアニメや2次元アイドルを支持する層に対して訴えかけてゆくということだ。
先に述べたとおり、2次元アイドルファンであった私は最初、22/7の楽曲に対して違和感を感じた。恐らく、アニメファンや2次元アイドルファンは意識的、無意識的にこの音作りに違和感を感じると思う。2次元アイドルの楽曲は例えば以下の曲のように誰が(作られた空間の)どこで歌っているのかということが明確に察知できるように作られている事が多い。
この楽曲も「理解者」とサビの楽器構成が比較的近いので選んだものだ。歌唱人数が3人の曲と8人の曲の比較になってしまったがヴォーカルの聞こえ方は先の2曲と大きく異なって聞こえるのではないかと思う。
22/7でその独特の音像に慣れた今でこそ、私も坂道シリーズの楽曲を頻繁に聞くようになったが、かつて乃木坂・欅坂ファンになりきれなかった要因の一つがヴォーカルの使い方にある。メンバーのことを知らない状態で聞いたときの「集団が歌っている」というイメージ。それにさらに男声コーラスをかぶせてくるとなると結構な違和感を感じることになる。「理解者」のサビもそう聞こえると思うのだが、2次元アイドルファンからすると誰が歌っているのかがわからないという状況はどうも落ち着かない。
今、私が「坂道シリーズ」の中で最も聞く機会が多いのがけやき坂46(通称:ひらがなけやき)の楽曲なのだが、ひらがなけやきが「坂道シリーズ」の中で最も入り込みやすかった要因の一つがメンバーの一人、齊藤京子さんの歌声にある。齊藤京子さんは現代のアイドルの水準からするとかなり個性的な(もちろんポジティブな意味で)歌声の持ち主で、彼女が歌っているということをリスナーは絶対に理解することができる。歌っている人の顔が思い浮かぶ。そこに安心感がある。
2次元アイドルの楽曲制作は実在しない人物(キャラクター)の個性を最大限強調するためにグループで歌う楽曲でもソロで歌いまわしてゆく機会が多い。そして、ファンは知らない内にそれに慣れてしまっている。あるいはそれが当たり前だと認識しているのではないかと思う。そちらの側に立てば22/7の楽曲はまだまだ歌っている人物の顔が見えづらい作りになっている。
もちろん、22/7も過去にリリースした3枚のシングルの中で変化していっている点はある。デビューシングル「僕は存在していなかった」のレコーディングに参加した8人は2人づつブースに入りヴォーカルを収録した。ソロでの声の個性が要求される2次元アイドルでこういったレコーディングを行うことはよほどの意図がない限り行われないだろう。
一方、最新シングル「理解者」ではポエトリーリーディングをサビに挿入することによって個人の声が聞き取れる作りになっている。ポエトリーリーディングそのものは「坂道シリーズ」的な要素でもあるが、彼女たちの声優としての活動や朗読会といった活動を経ての成果とも捉えられる。また、カップリング曲「韋駄天娘」で初めて11人(メンバー全員)がAメロからBメロの終わりまでソロを回すということも行った。
リリースごとに確実に変化、アップデートされている22/7の楽曲は今後アニメファンに訴えるにあたってどのように変化してゆくのだろうか?「坂道シリーズ」の音像を受け継いでゆくのか、より2次元アイドルの方向に舵をきるのか、その中間の良いポイントが見つかるのか。それは今、私が22/7に対して最も注目している点だ。
お絵かき再開
久しぶりに絵をかいた。絵は本来、毎日継続的に行うことでうまくなるという類のものだと思う。恐らく、楽器なんかと近くてトップクラスの人なんかは少しサボっただけで下手になっているということもあるんじゃないかと想像する。
僕はを描くのは好きだ。ただ、毎日のように絵に時間を割けるわけではない。やっていない間に感覚はやはり衰える。じゃあ、自分のように半年に一回程度の頻度で絵を描く月間ができるような人間はどうすべきなのだろうかと考えた。
僕は長期間絵を描くことことから離れることを前提として、衰えた感覚の復旧プロセスの構築に力を入れよう考えた。離れてしまうのは仕方がない。所詮はパートタイムの絵かきなんだから。
今回は前に描いてから半年以上間隔が空いていたんじゃないかと思うが、うまく復旧できたように思う。もう少し、このプロセスの構築を洗練させてゆきたい。
小説を書く
8月の終わりから小説を投稿し始めた。長らくやりたいと思っていたのだが、なかなか形にならなかった。あるとき、1000文字を目標にしてみようと思ったときにまとまり始めた。そうしてゆくと自分のやり方が決まってきて、1000文字をこえられるようになってきた。
いま、自分が何を書いているのかということを意識することが大事なのかなと言うのがやり始めたときの印象。状況を描写したいのか、会話を書きたいのか。時間を止めたいのか、進めたいのか。こういうことがわかっていなかったのだろうなと思う。
これからも短いものをたくさん書いて自分のリズムを見つけてゆきたいと思う。長編に取り組むことは恐らく無い。一つの話に長く向き合い続ける力はいまの自分には無いと思う。1000文字を目標にしてその結果3000文字とかそれ以上になることもあると思う。それくらいを常に目安にしたい。
FFⅧ in 2018
何を思ったのかタンスの奥からプレイステーション用のファイナルファンタジーⅧを出してきてプレイし始めた。なんかそういう気分だったのだと思う。このタイトルがリリースされたのが1999年で、そろそろ20年が経つというのも全く無関係ではないと思う。何事もそれくらいがちょうど振り返るのにいい時期だ。10年では古くてクールではないと感じてしまうことも多いだろう。
最後にプレイしたときからリアルの人生でいろいろ経験して、それによっていろいろ気がつくところもある。単純にストーリーの中で忘れていたこともあるし、プレイしていて非常に新鮮だ。また、その「記憶の欠落」というのがⅧのストーリーにおいて重要な要素でもあり、そういったリンクも楽しむことができている。
ファンサイトの情報によるとⅧは累計8.15millionでファイナルファンタジーシリーズ(Ⅰ~XV)で5番目に多い数字だ。ちなみに1番多いのはVIIの10.658million。Ⅶの人気の高さを肌で感じることは難しくない。後日談、スピンオフやリメイクの情報まである。しかしながら、Ⅷが日本国内で評価されているようには感じない。
それがなぜかの考察はここではしないが、発売日(約20年前)、にFFⅧを買った人の中にはたくさんの小学生(当時)とか中学生(当時)が含まれていたと思う。そして、その時にプレイした時の感想のままの人がたくさんいるような気がする。小中学生にラブストーリーが理解できないとは言わないけど、年齢を重ねる事によって見方が変わる点が多い作品だと思う。
例えば、初めてプレイしてからその後の人生で、口数の少ないあなたの心をひらいてくれる誰かに出会ったり、年を重ねることによって記憶の大切さに気づいたり、恋人ができるだけでもこのゲームの捉えかたは大きく変わると思う。
モンスター倒してレベル上げなんてほとんどしなくていいし、カードゲーム楽しいし。
「お願いだからもう一回プレイしてみて。」と言いたくなるFFⅧ。改めて見直されてほしいなと思っている。