以下の文章は「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 3rdLIVE TOUR BELIEVE MY DRE@M!!」大阪公演二日目が終わった後に書いたメモを中心にまとめた楽曲”フローズン・ワード”についての考察である。
注意点
この文章は所恵美のみならずその役者さん、楽曲の作詞家さん等の名前も多く登場するものです。表面に出ているもの100%でアイドルマスターを楽しみたい方におすすめできる内容では無い事をご了解の上お進みくださいますようお願い申し上げます。
何についての曲なのか
この考察において、”フローズン・ワード”は「恋愛」の曲ではないという前提で進めてゆく。あくまでもこの曲における恋愛は「所恵美」の曲として機能させるため姿であり、その化けの皮を剥がした時に何が見えるのかということが重要である。アイドルマスターにこのような曲は実際多いと思う。全てがそうだとは言わないが、プロデューサーとアイドル、恋愛関係という枠から外してその曲を見ることで新しい側面が見えることがあるというのがアイドルマスター楽曲の魅力の一つかもしれない。
モチーフ
この歌詞を書くにあたって”フローズン・ワード”の作詞家、真崎エリカさんは所恵美役藤井ゆきよさん(以下ゆきよさん)のブログを参照したと思われる節がある。ゆきよさんがご自身の経歴について書かれた記事の中にその破片を確認する事ができる。
参照
藤井ゆきよの『ユキヨゴト。』
ameblo.jp
その中に書かれている、ゆきよさんがマネージャーさんにかけられた言葉
「夢は口に出した瞬間に半分叶っている」
この言葉がこの歌詞に通る一本の筋だと考えている。
願いがありながら、口にすることができずに凍りついた言葉。
「フローズン・ワード」
歌詞前半部(ギターソロまで)
ゆきよさんのブログを基礎として恋愛の要素を散りばめ、表面を取り繕い、あくまで少女の恋のような印象を受ける。この前半部に関してはゆきよさんのブログが基礎だと考えられる。役者に転身される前のゆきよさんの心情のほうが色濃く出ている歌詞であり、それは”夢”を持ちながら、逃げてしまっていた時の感情。これを比喩表現を用いる事によって恋愛の曲として表現している。
歌詞後半部(ギターソロ以降)
ギターソロの後からその表情が変わってくる。ブログからの引用がされていない印象があり、前半部からの大きな変化としては
手渡せない言葉 → 未完成な言葉
Let me know where’s Love…? → I know it there’s Love.
個人的にこの変化から考えたのは歌詞の前半と後半で主人公が違う(視点が変わっている)のではないかという疑問である。特に”Love”を知らない前半部と知っている後半部の違いは大きい。この視点変更の捉え方として自分が思ったことは今のゆきよさんの姿がここに描かれているのではないかということである。前半部の役者に転身される前の思いを基礎に組み上げられた前半部と役者としての「今」の後半部という目線の切り替えがここで行われている。
後半部の歌詞を「現在のゆきよさん」として捉えた時にその問いかけ
“Love”を知っているものから知らないものへの問いかけ
「キコエル?」
の相手は恵美か過去のゆきよさんではないか?と考えることはできる。
そして、一人称「アタシ」は恵美を示唆すると考えた場合に、「フローズン・ワード」は
ゆきよさんと恵美の関係性を描いた楽曲なのではないか?
と考えた。
1A~2サビー恵美
ソロ明けー今のゆきよさん
そうやって見て見るといろいろ面白い。
キャスティングの生み出すいびつさ
改めて見ると今のゆきよさんと恵美の組み合わせというのはキャストとキャラとの年齢や人生における段階が大きく異なる。夢があって、それを叶えるために何度も何度もその夢を口にしてきたゆきよさん。今でこそアイドルを楽しんでくれているようにみえるものの、何になりたいのかわからない、プロデューサーに任せると言っていた恵美。根本からなにからが違う。
今でこそアイマスにおけるキャスティングの典型が何かなんてものはないかもしれないが、同年代、人生における段階の似通ったキャスティングではない。
「手渡せない言葉」を持つ恵美
「未完成な言葉」を持つゆきよさん
その距離を縮めようという願いがありながらも二人の言葉は凍りついてしまっている。
階層構造
この解釈は非常に複雑な構造になっていて
第1階層ー恋愛
あくまでも恋愛の曲としての表情
第2階層ー夢
ゆきよさんのブログを元にした恋愛の相手を”夢”として見る表情
第3階層ーゆきよさんと恵美の関係性
1、2をモチーフとして2人にしかわからない関係性を描いた表情
がある。
1として見た場合には正直に言って物足りないというか、あの自分が3rd大阪2日目に見た物はそんなものではない。ただこれが事実だとすれば、様々なリソースを活用し、含みを持たせながら一本の恋愛の曲として見えるものに仕上げた真崎エリカさんの技法に驚嘆するばかり。
2として見た場合にいくつか説明しきれない部分が出てきた。この曲の主人公を恵美としてみた場合に恵美はそもそも「夢」を持っているのかという話。なぜ夢がありながら「このままいる」必要があるのかという話等いろいろ出てくる。
英詞以外の根拠は無いのだが、ギターソロ以降視点が変わっていると判断し、3として見た場合が最もしっくり来た。自分があの日見たのはこれだったのではないかと思った。それは人生や夢という隔たりの対岸で2人が互いに呼び合う姿であり、
「ここに愛はある」
「ここにいるから」
というゆきよさんが恵美を呼ぶ叫びだったのではないか。
アイマスの歌の力
役者さんの人生を反映させることによって「歌」に力を持たせてきたアイドルマスターの方法論がある。ただ、多くの場合は引用で終わることが多い。この曲の場合ならばゆきよさんのブログを元に「夢」という対象を「恋」にした段階で終わる事が多い。
この詞においてはこの引用した内容を更に置換して「キャストとキャラクターの関係性」を表現し、より複雑に力を持たせた歌詞として取ることができるのではないか。その場合、アイマス楽曲において最も残酷な構造なのではないかと思ってしまう。
“歌い手が今と過去の自分そして、恵美との関係性に必然的に向きわされる曲”
これが”フローズン・ワード”の姿なのでないか。
契約
この歌詞(解釈)において重要な点は、この作詞に使われたリソースが100%ゆきよさんから来ているということだ。つまり、この歌詞の前半部分を恵美とした場合にこの歌詞のリソースがゆきよさんのブログであるがゆえに
恵美の弱さ=昔のゆきよさんの弱さ
になったのではないか?ということが考えられる。
「所恵美というキャラクターの人格にゆきよさんの人格を組み込みます」というある種の契約を示した歌詞。その上で、両者の間を隔てる「壁」として存在する”フローズン・ワード”。この構図がこの曲の残酷さの様に見えてならない。
我々には3rdツアーにおいて2度この曲を見る機会があった。
「ここにいるから」
そう叫んでいるのは恵美ではなくゆきよさん本人であり、その手を伸ばした先に恵美がいる。この曲の解釈が大きく逸れていなければ、”フローズン・ワード”は登場人物が二人の「劇」であると呼べるのではないだろうか。