7月

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顔周りをどうしようかという事について考えてきたが、だんだん方針が定まってきた。今後は体のパーツや洋服の表現により時間を割いてゆきたいと思う。

Training June

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6月に入って、ようやくペンタブレットに慣れてきたような感覚がある。デジタル上で練習できるようになり、作業の効率も上がり始めると思う。しばらくは個別のパーツのトレーニングに取り組みたい。

 -手

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-袖

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ドローイング進展 2017/5/19

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絵の進展について

・影をつけてみた

絵を描く技術をいろいろ試していて今回は新しく影をつけてみた。イラストレーターで描いているのだが、線画にライブペイントツールを適用し、塗った面にナイフツールで影の面を指定してゆく。アニメ塗りの手法なので、それについてま学んでゆく必要がある。

 

 

・色について

イラストレーターは色彩を選ぶにあたってのサポート機能が充実しているので便利。色の置き換えツールや指定したスウォッチを使用しながら選んでゆく。いろいろな方法論を試したいなと思っている。

 

課題

・かわいい系

特に目について研究をしてかわいいスタイルに応用できるようにしたい。べた塗り、アニメ塗りにフィットするスタイルの模索が最優先かなと思っている。

 

・描く範囲を広げる

今までのところ上半身中心の構図なのだが、徐々に範囲を広げながら様々な構図を試してゆきたい。

絵を描く

何がきっかけだったのか分からないのだが、絵を描き始めたのが2016年の1122日だった。よって五ヶ月ほど経過したことになる。鉛筆を使ったり、もともと持っていたPhotoshopIllustratorを使用したりしながら、自分にあった方法を探してきた。もうすぐ半年という事もあってこれまでの事をまとめたいと思う。

 

ひとまず練習はアナログ

始めた当初デジタルで絵を描くことに特化したインターフェイスを持っていなかったため、ボールペンと紙を使って始めた。ただ、自分が古い人間なせいか、それとも性格なのかボールペンで描いた時の感覚が好きではなく、鉛筆に切り替える事に。木の質感が気に入っていて、今もアナログでトレーニングをする時は鉛筆と紙と消しゴムでやるようにしている。絵の上手な人はやっぱりアナログで慣れている方が大多数だと思うので、継続したい。

 

ひとまず試したPhotoshop

アナログでちょっと描けるようになってくると、デジタルのツールも使ってみたくなる。ひとまずWacom Intuosの最も安価なモデル「CTL-490」を導入する事に。Photoshopはドローイングの目的で購入した訳ではないのだが、せっかく持っているので一番最初の選択肢だった。自分が使っているのがMacでSAI等のツールが除外されることもあるかもしれない。

Photoshopで描いた印象は「難しい」ブラシの設定次第で様々な表現ができるという強みはあるもののやはりそれをすぐに使いこなせるのかというとそうではない。

無論、アナログで慣れている方が使うとそうではないのかもしれない。CPUの付加も懸念材料だった。今使っているMacはRAM4GB程しかなく、ブラシを使うと決まって遅延が起こってしまう。試行錯誤したものの、やはり現実的ではないと考え、あきらめる事に。

 

Illustrator

次に試したのがIllustrator。こちらももともと所持していた物。イラレは線を引く方法が複数あって、マウスなりタブレットで線を引く、ブラシツールとかベジェ曲線を用いて引いてゆくペンツールがドローイングに用いるには適当かと思う。

結論から言うと、自分はイラレが大変気に入っている。まず一つは負荷が軽いということ。次に一度引いた線を修正できるという事と引いた線にあとからペンや鉛筆等のテクスチャが加えられるという事。事後的な修正能力が高い分、初心者にとってはありがたい点が多くある。ベジェ曲線は苦手な方も多いようで、その考え方故に敬遠されることもあるようだが、大変気に入っている。特にペンタブレットと組み合わせたておまかな線はタブレットで引いて、微調整をベジェのハンドルの操作で行うことで理想に近づけてゆく事ができる。

最初は独特の操作感が難しかったため、一度鉛筆で描いたものを取り込み、それをなぞるようにして線画にするという事をしていたが、繰り返してゆくうちに下書きからイラレ上でできるようになってきた。

この方法だと、今使っているタブレットよりもグレードの高い物はどうも必要なさそうで、投資の面でもメリットはあるのでは?と考えている。

 

 

イラレでひとまず形になり始めたので、今はそのツールにあった表現を模索しようかと考えているところ。タイポグラフィだったり、グラフィックデザインの表現を用いて作品にできたらいいなと思っている。もしかしたら線画はイラレでやって、Photoshopに移してマスクを作って厚塗りをやってみたりという事も可能かもしれない。ただ、現状のツールにフィットした方法を探るのが最優先かと思う。

 

こんな感じ。

 

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Southbound

 

久々の作曲。

RidgeRacerみたいな曲を作りたいと思いながらくみ上げていった曲。あんな事もやりたい、こんな事もやりたいと思っていたら、トラックの数が増えてしまった。もう少し、トラック数を減らし統一感を出したい。

 

いろいろなDAWを使用して制作する方法について考えている最中で、今回もCubaseAbletonProtools Firstを使用した。主な制作はCubaseで行いつつ、2MIXの処理等で他の二つを使用する感じ。

 

Protoolsの音像がフリーで使用できるようになったのは感謝しかない。バージョンアップするまで僕の環境ではかなり不安定だったのだが、それも安定した。

 

ラウドネスを-13LUFSに設定したのだが、それにしてはダイナミックレンジが狭い。こういった音楽はそうなりがちかも知れないのだが、もう少しDRを意識ながらミックスに取り組みたい。

 

二次元アイドル各コンテンツごとに”アイドル”の定義に差はあるか?

 アイドルマスター(以下:アイマス)というコンテンツに興味を持ったきっかけは如月千早だった。彼女は「アイドルに興味ありません。」と言った。それから数年後、強く興味を持ったのは所恵美だった。彼女は「アイドルの事はよくわからない。」と言った。アイマスをプレイする中で僕が強く惹かれたのはナチュラルにアイドルを体現する人ではなく、その概念に対して考える中で時間をかけて折り合いをつけてゆく過程を共有する事のできるアイドルである。

 

たまたま働いた会社の考えと合わずに、そこでもがき苦しむ等ということは誰の人生にでも起こりうる事だと考える。ある意味でそういった状況に共感しながらそのゲームをプレイするということさえ十分に起こりうるという事はご理解いただきたいと思う。

 

長らくこのような二次元アイドルコンテンツはアイドルマスターシリーズにしか縁がなかった。しかしながらここ半年ほどTokyo7thシスターズ(以下;ナナシス)に関心を持ち、プレイしている。興味を持ったきっかけこそ”Fire and Rose”という決してアイドルらしいとは呼ぶ事のできないロックチューンではあるのだが、ゲームを進めるにつれとても惹かれたのは芹沢モモカと夜舞サヲリだった。彼女達は「アイドルらしく振る舞う」ということについてのためらいは無いように見える。

 

ナナシスにおいて、アイマスをプレイしていた時とはずいぶん違うタイプのアイドルに興味を持つ事となったため、何がこの違いを生み出したのか自分の中で大きな疑問があった。

 

このふたつのコンテンツを比較した際の大きな違いは劇中世界における”アイドル”に対するオーディエンスの認識ではないかと思う。ナナシスを進めるに当たって非常に重要な点はこの世界が「アイドルが受け入れられていない世界」の物語であるという点である。この世界で人々が求めているものはアーティストであり、アーティストのファンは時にアイドルを強く罵る事すらある。

 

アイマス世界においての”アイドル”についてはよく「我々が住む世界の80年代アイドルブームが終わらずに続いた世界」という記述も見かけるほどにそれが受け入れられている世界である。それ故に多くのアイドル候補生が存在し、アイドル同士でしのぎを削る世界の話である。

 

この二つのコンテンツにおいての”アイドル”を取り巻く環境自体が大きく異なり、それ故に”アイドル”に求められている要素が大きく異なっていたとしてもそれは自然な事ではないかと思う。

 

二次元アイドルコンテンツは今や多く存在している。しかしながら”アイドル”というそれらのコンテンツで共通の単語の指し示す物は必ずしも同じとは限らないのではないかと今回の経験から考えるようになった。それは製作陣にとっても意識的な部分とそうでない部分があるかもしれない。しかしながら、

 

「この世界における”アイドル”とはなにか?」

 

という根本的な問いに対する答えは長く続くストーリーを維持するにあたって、各コンテンツ持ち合わせているだろうと考える。

 

その後の具体的な考察についてここには記載しないが、もし複数のアイドルコンテンツをプレイしながら今回私が経験したような支持するアイドルの特徴の違い等について誰かが気になったときの一つの糸口にでもなれば幸いだ。

所恵美”フローズン・ワード” ~歌詞から読み解くリレイション~

以下の文章は「THE IDOLM@STER MILLION LIVE! 3rdLIVE TOUR BELIEVE MY DRE@M!!」大阪公演二日目が終わった後に書いたメモを中心にまとめた楽曲フローズン・ワードについての考察である。

 

注意点

この文章は所恵美のみならずその役者さん、楽曲の作詞家さん等の名前も多く登場するものです。表面に出ているもの100%でアイドルマスターを楽しみたい方におすすめできる内容では無い事をご了解の上お進みくださいますようお願い申し上げます。

 

 

何についての曲なのか

この考察において、フローズン・ワードは「恋愛」の曲ではないという前提で進めてゆく。あくまでもこの曲における恋愛は「所恵美」の曲として機能させるため姿であり、その化けの皮を剥がした時に何が見えるのかということが重要である。アイドルマスターにこのような曲は実際多いと思う。全てがそうだとは言わないが、プロデューサーとアイドル、恋愛関係という枠から外してその曲を見ることで新しい側面が見えることがあるというのがアイドルマスター楽曲の魅力の一つかもしれない。

 

 

モチーフ

この歌詞を書くにあたってフローズン・ワードの作詞家、真崎エリカさんは所恵美役藤井ゆきよさん(以下ゆきよさん)のブログを参照したと思われる節がある。ゆきよさんがご自身の経歴について書かれた記事の中にその破片を確認する事ができる。

 

参照

藤井ゆきよの『ユキヨゴト。』

ameblo.jp

 

 

その中に書かれている、ゆきよさんがマネージャーさんにかけられた言葉

 

「夢は口に出した瞬間に半分叶っている」

 

この言葉がこの歌詞に通る一本の筋だと考えている。

 

願いがありながら、口にすることができずに凍りついた言葉。

 

 

「フローズン・ワード」

 

 

歌詞前半部(ギターソロまで)

ゆきよさんのブログを基礎として恋愛の要素を散りばめ、表面を取り繕い、あくまで少女の恋のような印象を受ける。この前半部に関してはゆきよさんのブログが基礎だと考えられる。役者に転身される前のゆきよさんの心情のほうが色濃く出ている歌詞であり、それはを持ちながら、逃げてしまっていた時の感情。これを比喩表現を用いる事によって恋愛の曲として表現している。

 

 

歌詞後半部(ギターソロ以降)

ギターソロの後からその表情が変わってくる。ブログからの引用がされていない印象があり、前半部からの大きな変化としては

 

手渡せない言葉 未完成な言葉

 

Let me know where’s Love…? I know it there’s Love.

 

個人的にこの変化から考えたのは歌詞の前半と後半で主人公が違う(視点が変わっている)のではないかという疑問である。特に”Love”を知らない前半部と知っている後半部の違いは大きい。この視点変更の捉え方として自分が思ったことは今のゆきよさんの姿がここに描かれているのではないかということである。前半部の役者に転身される前の思いを基礎に組み上げられた前半部と役者としての「今」の後半部という目線の切り替えがここで行われている。

 

 

後半部の歌詞を「現在のゆきよさん」として捉えた時にその問いかけ

“Love”を知っているものから知らないものへの問いかけ

「キコエル?」

の相手は恵美か過去のゆきよさんではないか?と考えることはできる。

そして、一人称「アタシ」は恵美を示唆すると考えた場合に、「フローズン・ワード」は

 

ゆきよさんと恵美の関係性を描いた楽曲なのではないか?

 

と考えた。

 

1A~2サビー恵美

ソロ明けー今のゆきよさん

 

そうやって見て見るといろいろ面白い。

 

 

キャスティングの生み出すいびつさ

改めて見ると今のゆきよさんと恵美の組み合わせというのはキャストとキャラとの年齢や人生における段階が大きく異なる。夢があって、それを叶えるために何度も何度もその夢を口にしてきたゆきよさん。今でこそアイドルを楽しんでくれているようにみえるものの、何になりたいのかわからない、プロデューサーに任せると言っていた恵美。根本からなにからが違う。

今でこそアイマスにおけるキャスティングの典型が何かなんてものはないかもしれないが、同年代、人生における段階の似通ったキャスティングではない。

 

「手渡せない言葉」を持つ恵美

「未完成な言葉」を持つゆきよさん

 

その距離を縮めようという願いがありながらも二人の言葉は凍りついてしまっている。

 

階層構造

この解釈は非常に複雑な構造になっていて

 

第1階層ー恋愛

あくまでも恋愛の曲としての表情

 

第2階層ー夢

ゆきよさんのブログを元にした恋愛の相手をとして見る表情

 

第3階層ーゆきよさんと恵美の関係性

1、2をモチーフとして2人にしかわからない関係性を描いた表情

 

がある。

 

1として見た場合には正直に言って物足りないというか、あの自分が3rd大阪2日目に見た物はそんなものではない。ただこれが事実だとすれば、様々なリソースを活用し、含みを持たせながら一本の恋愛の曲として見えるものに仕上げた真崎エリカさんの技法に驚嘆するばかり。

 

2として見た場合にいくつか説明しきれない部分が出てきた。この曲の主人公を恵美としてみた場合に恵美はそもそも「夢」を持っているのかという話。なぜ夢がありながら「このままいる」必要があるのかという話等いろいろ出てくる。

 

英詞以外の根拠は無いのだが、ギターソロ以降視点が変わっていると判断し、3として見た場合が最もしっくり来た。自分があの日見たのはこれだったのではないかと思った。それは人生や夢という隔たりの対岸で2人が互いに呼び合う姿であり、

 

「ここに愛はある」

「ここにいるから」

 

というゆきよさんが恵美を呼ぶ叫びだったのではないか。

 

 

アイマスの歌の力

役者さんの人生を反映させることによって「歌」に力を持たせてきたアイドルマスターの方法論がある。ただ、多くの場合は引用で終わることが多い。この曲の場合ならばゆきよさんのブログを元に「夢」という対象を「恋」にした段階で終わる事が多い。

この詞においてはこの引用した内容を更に置換して「キャストとキャラクターの関係性」を表現し、より複雑に力を持たせた歌詞として取ることができるのではないか。その場合、アイマス楽曲において最も残酷な構造なのではないかと思ってしまう。

 

“歌い手が今と過去の自分そして、恵美との関係性に必然的に向きわされる曲”

 

これがフローズン・ワードの姿なのでないか。

 

 

契約

この歌詞(解釈)において重要な点は、この作詞に使われたリソースが100%ゆきよさんから来ているということだ。つまり、この歌詞の前半部分を恵美とした場合にこの歌詞のリソースがゆきよさんのブログであるがゆえに

 

恵美の弱さ=昔のゆきよさんの弱さ

 

になったのではないか?ということが考えられる。

 

「所恵美というキャラクターの人格にゆきよさんの人格を組み込みます」というある種の契約を示した歌詞。その上で、両者の間を隔てる「壁」として存在するフローズン・ワード。この構図がこの曲の残酷さの様に見えてならない。

 

我々には3rdツアーにおいて2度この曲を見る機会があった。

 

「ここにいるから」

 

そう叫んでいるのは恵美ではなくゆきよさん本人であり、その手を伸ばした先に恵美がいる。この曲の解釈が大きく逸れていなければ、フローズン・ワードは登場人物が二人の「劇」であると呼べるのではないだろうか。